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新沢千塚古墳群〔橿原市川西町・鳥屋町・一町〕
 

 新沢千塚古墳群は、奈良盆地南部の橿原市一町(かずちょう)・川西町に所在する。小規模な前方後円墳・方墳・円墳など約600基の古墳が丘陵上に集まって築造されており、日本列島でも屈指の規模の群集墳である。1962年~1966年に100基ほどの発掘調査が実施され、1976年に国史跡に指定された。
 その埋葬施設の大半は、墳丘上から墓壙を掘り、副葬品と木棺を納めて埋める木棺直葬(もっかんちょくそう)であるが、221号墳は数少ない横穴式石室で、石室導入期の中期末葉の時期に位置づけられる。古墳時代前期後半に、213号墳・500号墳などの築造によって、その古墳群の形成が開始され、中期に築造のピークを迎える。
 中期に築造された126号墳では金製垂飾付(きんせいすいしょくつき)耳飾り・耳環(じかん)・髪飾り・指輪・釧(くしろ)・帯金具などの装身具や龍文透彫方形板(りゅうもんすかしぼりほうけいいた)、銅鏡、ガラス碗・皿や青銅製熨斗、漆盤など、当時の東アジアにおける第一級の副葬品が出土している。重要文化財に指定され、東京国立博物館に収蔵されている。109号墳でも、鉄製武器類・三環鈴(さんかんれい)・銅鏡などの遺物とともに、金製垂飾付耳飾が出土している。また、115号墳・139号墳・281号墳・510号墳などでは、甲冑(かっちゅう)が付属具と共に出土しており、武器・武具を豊富に副葬する古墳も多い。
 さらに、後期にも築造はつづき、墓壙内に須恵器を副葬するようになる。また、178号墳・206号墳・328号墳などでは金銅装馬具が出土している。このほか、後期の262号墳の捻(ねじ)り環頭(かんとう)大刀(たち)、327号墳の龍文象嵌大刀(りゅうもんぞうがんたち)、323号墳の瑪瑙勾玉(めのうまがたま)・管玉(くだたま)・棗玉(なつめたま)、水晶管玉など類例の少ない優品も多い。
 群集墳のなかでは、比較的古い時期に築造のピークを迎えており、一般的には古墳被葬者の階層的広がりを示すと考えられる群集墳築造の端緒と背景を探るうえで、重要な位置にある。

新沢千塚500号墳
 墳丘長62mの前方後円墳。千塚山地区の南側丘陵頂部に築かれており、その築造年代は古墳時代前期後半(4世紀後半)と考えられる。埋葬施設として、合計3基の粘土槨と埴輪棺が検出されたが、中心主体は後円部中央で検出された長さ7.85mを測る粘土槨で、遺体を埋葬した主槨と、その南に付随して設けられた副葬品格納施設と考えられる副槨で構成されていた。
 主槨中央には長大な割竹形木棺が安置されていて、盗掘をまぬがれた棺内から多数の玉類と琴柱形(ことじがた)石(せき)製品(せいひん)などの碧玉(へきぎょく)製品が出土した。副槨は、箱形木棺と同様の構造と推定され、銅鏡6面のほか、筒形銅器(つつがたどうき)・八ツ手葉形などの銅製品、車輪石・石釧(いしくしろ)・石製鐓(とん)(石突(いしづき))などの碧玉製品、方形板革綴短甲(ほうけいばんかわとじたんこう)・銅鏃・鉄剣・鉄鉾・鉄鎗などの武器類、鍬先・鉄斧などの農工具類が出土した。人体埋葬の有無はさだかではない。同時期の前方後円墳の副葬品の全容がわかる希有な事例である。

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